“日本人とアメリカ人の考え方の違い
ティモシ・ニユーフィールズ
東海大学

価値観について


* * 世間に出回っている日本に関する本に、「不év議の国」云々といった類いの表現 がégわれていることがéрノは気になるのだけれど、日本人éゥ身はこう呼ばれることがと ても気にいっているらしく、日本で出版されているこのての本がよく売れているとい うことが、それこそéрノは不év議だ。読めばたいてい作éメは親日家で、日本に愛情をもって 書いていることがわかる。異なる文化で育ってきた人物が、日本の文化を経験して、 不év議と感じるのはそれはそれで良しとしても、当の日本人がéゥ分たちを不év護と 考えているのは如何なものか。もし他国の人間がアメリカについて、このての本を 書いてもアメリカ人は誰ひとりとして買わないのではあるまいかとévう。 éゥ国の歴éjや政é。・経済、他国の文化には興味があっても、éゥ分の国がどう見られて いるかなんてことについて、なぜわざわざ本を買ってまで知る必要があるだろうか。 * また、éрェ頼まれるスピーチで、婦人団体からのご要望が最も多いのが「アメリカ 人から見た日本人女性という題だ(日本人女性、というのはあまりに漠然としすぎ ていて困ってしまう。年齢や世代,、そしてもちろん個人個人によっても違うのだか ら)。これがアメリカなら当の女性たちから「性差別だ」とぱかりに、槍玉にあげられることは必é鰍ナある。 * アメリカ人が決して人からどう見られてもよい、と考える訳ではないが、これもや はり、他国の人間からéゥ分たちがどう見えるかについて、日本人が並大抵ではない好奇心をもっていることの証しだと考えられる。 * これらによって浮がび上がってくるのは、日本人éゥ身のアイデンティティの問題だとév う。外見ぱがりでなく、中身までどう見られているかを気にし過ぎてはいないだろうか。 これは裏返せぱ、どう見られたいかということであろう。éゥ分がこうありたい、と、イメー ジを膨らませることは良いとはévうが、それが、éゥ分個人だけでなく、「日本人」や「日本人女 性」のイメージにまで及んでいる。そんなに完壁é蜍`ではストレスがたまってしまうのではな いか、と他人é魔ナも心配になる。これを、日本人の美意éッだという人もいるが、果たしてそ うだろうか。ともすると、その美意éッを崩しかねない人物を、そうした理由で非難するこ とになり得る恐ろしさもあるのではないかとévう。協調性を重é汲キるために生まれる、異 端éメへのいじめがそれである。日本éミ会は 集団を重é汲キるが、アメリカでは個人(個 性)を重é汲キる。元々多民族国家であり、各々の外見も中身も違っていて当然なのだから、 éゥ分の考えを表明しé蜥」すること、話し合うことが大切なのだという考えが基本に なっている。今や巨大な多民族国家アメリカでは、そうしなければお互いのコンセンサスを 得ることはできない。いや、日本とて国際éミ会で生きていくためにはその必要があるはずだ。 そのために、論理的で明快な意év表éヲのéd方をそれぞれが研究してほしいと願っている。 * éрニ日本人の妻との紛争解決方法は、結婚当初からのé謖�゚で、もっぱら話し合い である。暴力をふるったり怒鳴り合うことはない。また、どちらかが放棄してしまうこと もしない。ひたすらコンセンサスを得るまで言葉の駆け引き、忍耐が続く。これはまったく連う 環境、習慣で育ってきたのだから、以心伝心など無理だという前提に立っているからである。 教育について * アメリカではéq供の基本的な教育(躾)は家庭ですること、親の役目なのが当た り前なのだが、どうも日本では学校の役目になっているような気がする。 éゥ分のéq供の大切 な躾を大勢のéq供を一人の教étが見ている状態の学校に任せてしまう、というのはどうにも 解せない。éゥ然、教étにとって扱いやすい平均化されたéq供を育てることになってしまう のではないか。一人一人の個性を大切になどといってもこれではé閧ェ回らなくて当たり前だとévう。 前述したように、アメリカは多民族国家であるために宗教も多é岺ス様だ。éq供の基本 的な躾や道徳観については宗教もおおいに関係してくるため、教会やそれにé翌スシステム が担っていることも多い。したがって、公立の学校では宗教に関わる倫理、 道徳など は一切éニになく、まったくの勉学の場になっている。学校の教育レベルは 各学校でひ じょうに差があり、お金é揩ソのéq弟たちの行く学校はé{設も充éタしており、 教育レベルもたいへん高い。 しかし低所得éメ層の家庭のéq供達が行く学校にはéc念ながらそうでないところも多 い。また、麻薬や銃の問題を考えると、家庭での基本的な教育(躾)が成功しているとも言い難 い。これはアメりカの抱える大きな問題の一つだ。 * 日本での外国語教育についていうと、日本人の完壁é蜍`がéラ魔をしているといえるだろう。中学3年生の方が高校生よりうまく話せることが多いのは、文法にばかり気をとられずに話そうとするからであり、高校生は文法を完璧に話そうとするあまり話せなくなってし まうのだ。また、éé験のための丸暗記ではéé験が終われば忘れて しまう。ヨーロッパの人達が 2,3カ国語を当たり前のように話せるのは、éタ践する相é閧ェ地続きでそれ程遠くない距離に いるからである。外国でパカンスを過ごしたり、行き来するのだから、勉強したことはéタ 際に役に立つ。これはやはり身に付くだろう。 最近では日本人もかなりの数の旅行éメが外国 に流出しているというのだから、これ から先が楽しみだ。だだし、団体旅行ばかりで行動 していては語学の上達は望めない。 また、éрワめて在日外国人が増えている昨今であるか ら、éゥ分から勇気をもって話 しかければ外国に行かなくともéタ践できるはずである。しか し、その際にはやはり最低限のエチケットというかマナーはé轤チてほしいものだ(初対面でいきな り年齢を尋ねたり、éゥ己紹介もせずに相é閧フことばかり聞くのもéク礼だ。相é閧ノ話せる é條ヤ の余裕があるかどうかも見極めてほしい。これは、日本人同émでも同じことでは あるまい か)。相é閧ノ外国語の練習台になる義務はないのだから、あくまでも交流目的であることを頭にお いてほしい。外国語教育を幅(é蛯ノ会話)と深さ(é蛯ノ文法)でとらえると、日本の外国語 教育にはもっと幅が必要だとévう。それが前述のコンセンサスを得るために必要不可欠となるであろう。 * 外国人と会話をする上でデリケートなé抹ソに宗教がある。日本では神仏の両方を 奉ったり、クリスチャンでなくても祝うクリスマスや聖バレンタイン・デーで振わうが、欧米で はとても大切な意味をもっていて、決してケーキやチョコレートをプレゼントをする日ではないの である。そこのところをきちんと理解しておいて欲しいものだ。 * 現在、大学の在り方も意éッ変革が必要になってきているとévわれる。大学は高校の延長ではない。日本の大学生のéタ情を見ていると、せっかく高校からたいへんなéア勉強をして大学に入っても、また高校の勉強を復習しなければならないときている。丸暗記が多いせ いか、大学に入った途端、それまでの勉強の成果を忘れてしまったり、応用が効かなかった り、で、一体何のための勉強なのかがよくわからないときている。そのうえ、éミ会に出るとま た1から出発というのだから、日本人はとても気が長いのか、我慢強いのか。日本の終身雇用 が崩壊している今を考えると、杜会に出る前の段階 の大学生が今の状況でいいはずはない のである。アメリカではéゥ分を売り込む方法は éゥ分で見つけなければならないし、éゥ信をつけ るのもéゥ分éゥ身、責任も全部éゥ分éゥ身にあると教えられる。そのために押しが強く見えることもあるようだ。 * 躾の面では日本人は比較的礼儀正しい人が多いし、アメリカ人が見習うぺき点も多 いのだが、それも、この10年を見てみると変わってきていると言わざるをえない。アメリカでは 道ですれ違うé桙ノ肩や腕が他人にちょっとでもぶつかったりすると‘Excuse me’といってéモるの が当たり前で、アメリカ旅行の経験éメならば覚えがあるのではないかとévう。日本では同じような状 況でéモられることは少ない。もっとも、人が狭い歩道や電éヤにひしめきあっている日本を考える と、一々éモっていたら大変なのかも知れないが、来日したばかりのころは、むっとした覚えがある。 まとめ * 話しは少しそれるが、欧米ではスープや麺類を食べるときに音をたててはいけない と家庭で躾られる。中国や香港でもそうだというのだが日本は違う。日本蕎麦が好きで、家内と é栫X食ぺに出かけるし、éゥ宅でもよく食べるが、いまだにあのすすりこむ音に違和感がある。とても いけないことをしている気分なのだ。ああ、これが文化の違いなのだとéрェéタ感する瞬間である。 * 日本人同ém、アメリカ人éémでも個人の考えに違いがあるのは当たり前である。し かし、それを単にあげつらうのではなく、また、違いを当たり前とするけでなく、これからの世紀 に向けて、日本人としてのアイデンティティをéクわずに吸é福オて乗り超えていってほしいとévう。今は その過渡期にあるのかも知れない。


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